eyes00jp@落語研究中

youtubeにアップした落語(音声のみ)の再掲と解説と考察。ストーリー、サゲ、その他メモ等、頑張って勉強しています。







<登場人物>
二人の男(喜六と清八)、煮売屋のおやじ

<ストーリー>
”煮売屋”はいわゆる惣菜類のテイクアウト店、イートイン式の簡単な居酒屋の二種類があるが、通常は前者である場合が多い。
ある日、喜六が訪ねていくと、清八が昼間から何種類も惣菜を並べて酒を飲んでいる。これはいいところに来合わせた、と喜ぶ喜六を無視して、一人で箸を進める清八。
「灘の酒蔵になあ、友達がおんねん。そこで蔵出しの上等を一升くれたんや。今日は仕事もないさかい、こない楽しんで飲んでんねん。これは鯖のきずし(しめ鯖)、これはコノワタ、これは紀州のかまぼこや。それから鰆の照り焼き、焼き豆腐。この猪口ええやろ、古道具屋で見つけて買うてきたんや。普通の猪口の三杯ぐらい入るで」
「こら!あんまり殺生な真似すな!一杯いこか、くらい言うたらどやねん」
「何言うてけつかんねん。わしが飲んでるところへおまえが入ってきて、一ついこ、付き合え、と言われなんだことがあったか。わしがそう言う前に、おまえどないしたん。どかっと座って、こらええとこ来たな、ごっつぉはん。親しき仲にも礼儀ありっちゅうことがあるぞ。よだれの垂らしそうな口しやがって、これはなんや、これはなんや、焼き豆腐まで指差して訊いてけつかる。そんな意地の汚い真似しやがって、こっちは意地でも飲めとは言わんさかいな」
「なるほど。ほんにわしが行儀悪かったわい。謝る、謝るさかい一杯飲ましてくれ」
喜六は近頃仕事が減り、小遣いにも不自由して酒などしばらく飲んでいないと、半泣きで食い下がる。同業の清八も事情は同じはずなのだが、真っ昼間からこのご馳走。よく考えればおかしい。
「こら、みなタダや。煮売屋から持ってきたんや。そおーっと行って盗んだりするかい、おやじの目の前で、堂々と取ってきたんや。教えたろ、おまえも甲斐性があったらやってみい」
どないすんねん、と身を乗り出す喜六に、清八が話し始める。
この町内は顔見知りで駄目なので、隣町内の煮売屋を狙う。あの店のおやじはひどい近眼(ちかめ。きんがんと同じ。目が悪い人)で、顔をぶつけるほど寄せないとほとんど見えない。店先であれこれと注文し包んでもらい、支払いの段になって、適当な紙きれでも渡しかけてわざと落とす。あっ、おっさん、そこへ札が落ちた。どこに?よく見ようと頭を下げ屈み込むところへ、いきなり上から押し、尻餅をつかせる。その隙に走って逃げてくる、というもの。堂々でもなんでもなく、かなり卑怯で姑息な、ただの犯罪である。
すっかりその気になった喜六は、冗談だ、本気にする奴があるかと慌てて止める清八の家を飛び出し、隣町内の近眼の煮売屋へ。清八と同じご馳走を包んでもらい、支払いの段になって、札を落としたふりをする。おやじが屈んだところへ、上から、どーん!
「わーい、やってきたったー!やってきたったー!おまえの言う通り、うまいこといったで。ぎゃっ、ちゅうてへたばりよったさかい、だーっと」
「迂闊になぶれん奴やなこいつは!ほんまにやってきたんかおまえ!なんちゅうことをすんねんな…品物は?」
「あっ、忘れてきた」

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もちろん犯罪の上、現代なら視覚障害者を特に狙った計画的犯行であり悪質。高座にかかることは、恐らく今後一切ないと思われる。書籍等なら、目次見返しか奥付か辺りに”現在では差別的表現となりますが、発表当時の時代背景を考慮し…”という旨が入る。
こうした噺は決して少なくない。令和の今日も”名作”、”大ネタ”、と賞賛される作品と一緒くたに、共に朽ちる運命だったはずである。淘汰こそ平等で、差別はしない。
それを救出・記録した米朝師匠の功績は本当に、神のようだとつくづく感じ入るしかない。そこからさらに、その時代に合わせて生き残り、また滅びていく(記録だけは残る)新しい道(可能性)が出来た。上方噺を聞くときはいつも、「米朝師匠がいなかったら今頃とっくにこの世には」と思う。
ユーモアが複雑怪奇の究極のレアなジャンルであり、寄席や落語が極めてニッチな、マイノリティだった事実から、日本史や精神論まで広げて考えて、面白い。
季節としては、魚がよい指標になるはずだが、季語の鯖は夏、コノワタ(ナマコ)は冬、鰆は春(晩春)。コノワタは塩辛なので枠外として、鯖の、しめ鯖に適した云々を考えると、真鯖(マサバ)も旬だし秋か冬?しかし鰆が合わない。





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